目次
2024年の青年部会は終了しました。
- 日 時: 5月3日(金)~5日(日)
- 会 場: 巌松会館(福岡県宗像市陵厳寺2ー19-2)・オンライン同時配信
- 講 師: 佐野 明弘師
- テーマ: 「それで、私は、本当は何を求めているのだろう——人有りて西に向かいて行かんと欲するに——」
- 総 務: 堤 直尋・岡田 学
- 講 題: 「自己に背くもの」
テーマについて
2024年青年部会テーマ 「それで、私は、本当は何を求めているのだろう——人有りて西に向かいて行かんと欲するに——」 「僕らは本当は何を求めているのだろう」。10年ほど前の青年部会のテーマだった言葉です。 僕らは「本当は」何を求めているのか。「本当は」というところに、これまで求めてきた一切が「本当」ではなかったということが暴露されてくる。 これまで色んなものを求めてきたようではある。色んなものに学びを求め、道を求めてきた。生きがいを求め、光を求めてきた。そのような私のあり様を、「本当は何を求めているのか」との問いが突き返す。どんなに本当に求めていると言ってみても、実際に本当に求めてきたようでも、どこまでもそこに「本当は何を求めているのか」という問いがへばりついている。 春のJBAで岡本大志先生に教えられたことの一つが、「この世の光は必ず影を落とす」のだということ。何かができるということを光とするならば、それができないことが影となる。私たちが光としているもの、それは地上に影を落とす光なのだと教えられる。「いきいきと生きたいと思う。しかし、いきいきとしていないなら生きていないのか。活かしてないと生きていないのか」。 「本当は何を求めているのか」。私たちが何を光としているのかという問いは、深いところで、この世に影を落としていることの痛みに通じてくる。 外に、外に、道を求め、光を求めている私たちをして、「人有りて西に向かいて行かんと欲するに」という契機に立たしめるものとは、いったい何なのだろう。 私には私の苦悩ということがあって、それが私を仏教に向かわせたのだと思っていた。しかし、私の苦悩に先立つ働きがあったということを教えられた。 一人一人の業を抱えて聞法してきた多くの先人方がすでにおられた。生涯をあげて、念仏の教えを聞いて下さった先人方の御苦労が、この僧伽を支えている。歴史を貫く御苦労が、この僧伽を作ってきたのだ。そのお育ての中に、私もまた在る、念仏の教えを聞くという縁をいただいている。 こうしたことが、昨年の私自身の大きなテーマであった。それをもう一度、自己の問いということ、一人一人の問いということに返してみる。 「それで、私は、本当は何を求めているのだろう」。 堤 直尋