
二河の発見
求道して求道してしっかりやって行ったならば段々と深い心が出来、清浄の心が出来、本当の智慧が生まれてくる、人はそういうふうに言うが、自分はやればやる程そうならない、その教えに示されている所が求道の果に生まれてくる現実と違う、それを断絶という。
それではこの断絶はどうして超えられるか。それはこの現実、私の現実の前にひざまずいて本当にお粗末な私でございますと頭を下げる所に、教えの彼方から、私の上に届けられる南無阿弥陀仏がたった一つこの断絶を超える道である。
それを断絶を持っている宗教という。念仏がたった一つ超越の道である。
細川巖講述『自己を超える道〜二河白道〜』第一巻 277ページより