言葉1『正信偈讃仰』(六)

南無阿弥陀仏になっていく

私達は自分のおる所が道場になるのです。家庭におれば家庭が道場、職場におれば職場が道場。
親鸞聖人は実に忠実な人です。

悲しき哉、愚禿鸞。愛欲の広海に沈没し 名利の大山に迷惑して

と言われる。沈没し迷惑する。それなら親鸞さんはつまらんじゃないか。そうではない。実にすばらしい自分自身の現実を言っておりなさる。それが南無阿弥陀仏になっている。それが親鸞という人を本当に物語る織り物になっている。何の虚飾もない。実際の事を言っておりなさる。そこに南無阿弥陀仏の徳があらわれ、親鸞という人柄があらわれている。

 自分というものを投げ出せない、それが一番問題である。自分の悪いことを投げ出せない、それが一番いけない。投げ出すとは何かというと、たて糸の中にそれを織りこんでいくというか、南無阿弥陀仏になっていくということが大事である。それが「速かに功徳の大宝海を満足せしむ」である。


細川巖講述『正信偈讃仰(八)天親章』293ページより

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