言葉1『正信偈讃仰』(四)

簡単にして明瞭

具体的で簡明なもの、それは、
恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし

龍樹菩薩の和讃です。恭敬の心といえば、もう少しくだいていえば、頭を下げて念仏申すということだ。そこに仏道成就の道がある。

こういう簡単明瞭、実に具体的なものを明らかにされた。これが「大乗無上の法を宣説」するということです。それまでの序論が『中論』であり、『大智度論』である。しかし最後の結論は『十住毘婆沙論』に明らかである。それは非常に簡明になっている。

私共も最後を知っとかないといけない。どうしたら、こういうものになるのか。それは、「恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」である。これは龍樹和讃に出ておる。それが『十住毘婆沙論』の帰結である。

これをもう少しやさしくいうと、頭を下げて 念仏申す

これに極まるものである。「頭を下げて 念仏申す」というのは、亡くなられた先生(住岡夜晃師)のいわば、名訳です。実に簡明に言ってある。その元は、龍樹和讃にある。

このようなすぐれたものが、具体的に、明らかにマスターされるというか、身についてきたならば、必ず次々と広がっていく、そういう出発点になるのである。

「大乗無上の法を宣説」するとあるが、何を宣説されたのか、それはここに極まるのである。

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