家は如来の道場
家の主人公は私ではない。
家のあるじは如来である。
このことはまことに先師がくりかえしくりかえし教えられた教訓であった。
家のあるじは如来であることにめざめるとき、家は如来の道場である。
家は私が思いのままに貪欲・瞋恚・愚痴をならべたてる場でなくて、
念仏が称えられ、仏法讃嘆が一つでもなされるべき道場でなければならない。
細川巖講述『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇一)』146ページより
家の主人公は私ではない。
家のあるじは如来である。
このことはまことに先師がくりかえしくりかえし教えられた教訓であった。
家のあるじは如来であることにめざめるとき、家は如来の道場である。
家は私が思いのままに貪欲・瞋恚・愚痴をならべたてる場でなくて、
念仏が称えられ、仏法讃嘆が一つでもなされるべき道場でなければならない。
細川巖講述『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇一)』146ページより