
同一念仏の世界に生きる
浄土に生まれるとは、法の臣になることである。よき師・よき友を賜うことである。サンガを与えられることである。そこに兄弟以上の兄弟、御同朋に恵まれる。救われないとは、命を捧げる法の王がないことである。友が得られないことである。帰るべきサンガがないことである。
同一念仏とは、私が法の王によって如来浄土に生まれる命を賜った時、与えられる現実である。憶念弥陀仏本願、本願を憶念し、本願の歴史を憶念し、本願に生きたもうよき師・よき友を憶念する。それが念仏である。憶念がそのまま南無阿弥陀仏と称名念仏になる。これを同一念仏という。
よき師・よき友とともに同一念仏の世界に生きる。そこに至幸至福がある。なんと有難いことであろう。唯念仏である。
細川巖著『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇三)』141ページより