言葉2『蓮如上人 御一代記聞書讃仰』(十三)

真実の宝

真実とは末徹って一貫し、変わらぬもの。宝とは宝物をいう。真実の宝とは一体何か。

 人は真実の宝を得ようとして一生の間探し求め、尋ねていると言えるのではないか。名誉・財産・結婚・友・子ども・健康・美容・趣味・安定等々、「これが私の宝物です」と言えるものを持ちたいというのがすべての人の望みであろう。

 蓮如上人は「焼けども失せもせぬ重宝」(第二三一条)と言われた。我らが求めている宝は、何か事が起これば無くなるものばかりかも知れない。どんなことがあっても決して無くならない宝。それは貧乏になっても、病気しても、たった独りで冷たいベッドの上に横たわっていようとも、すべての人に死に別れ、生き別れて全くの孤独になっても、それでも無くなることのない宝物。それは何か。

 親鸞聖人は「『真実功徳』と申すは名号なり」(『一念多念証文』19-9)と言われた。蓮如上人は「焼けども失せもせぬ重宝は南無阿弥陀仏なり」と言われた。仏法を聞かない人は決してそうは思わないであろう。いや聞いてもそのように思えないという人が多いかもしれない。しかしそうなのである。その通りなのである。真実の宝というのは南無阿弥陀仏なのである。これが分かった人を仏は、広大勝解者と申され(『正信偈』12-50)、真実智慧の人と讃えられる。

細川巖著『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇三)』38・39ページより

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