仏教者の願い
聖人のおこころは広大である。宗教はまず自己の確立であり、そして最後は報謝である。「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ。」世のなか安穏なれ、そこに念仏者の願いがあり、深い祈りがある。しかし「仏法ひろまる」ことを除いてどこに「世のなか安穏なれ」が成立しよう。
それ故、仏教者の願いは必ず「仏法ひろまれ」である。そこに報謝の道がある。仏法がひろまるように、念仏申しながら、まずはわが身の聞法をいよいよ充実する。そしてさらに、仏法のお役に立つように心がけ、働く。それが報謝の実際である。
「役に立つ」とは、役とはギョウニンベンに「ル」「又」であり、武器をとって国境の守りに旅立つことを意味するという。今まで人々に守られていた者が、成長して今や自らが他の人々を守る役割を果せるようになったことを「役に立つ」といわれている。今まで仏法によって育てられ、教えられていた者が、成長して、今や仏法のお役に立ち、仏法のために働き、仏法のひろまるお手伝いをするようになるのが、求道のつづまるところである。
細川巖著『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇二)』12ページより