言葉2『蓮如上人 御一代記聞書讃仰』(四)

白道に立つ

二河譬(にがへき)において、水の河は貪欲(とんよく)、火の河は瞋恚(しんに)、その底を愚痴(ぐち)という。その真只中に賜る白道(びゃくどう)、それを清浄の願心つまり回向の信という。この白道こそ、われらが貪瞋痴(とんじんち)の自己を超えて、仏道に立つ道であり、生死を離れて大いなる世界に進む大道である。

 もしこの白道に立ったならば、何が見えるであろうか。坦々たる白道がまっすぐに見えるのだろうか。どうであろうか。

 白道に立つ時に見えるのは、火の河・水の河である。道に立つとは、道を妨げるものが見えてくることである。白道は願心である。願心に立つ者に願心は見えない。見えてくるのは、怒涛さかまく水の河、即ち貪欲の自己であり、火焔燃え盛る火の河、即ち瞋恚のわが姿である。この二河が明らかに見えて、しかもそれが妨げとならず、念々歩々一歩一歩その中を進んでゆくことを白道に立つという。

細川巖著『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇二)』18ページより

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