言葉2『蓮如上人 御一代記聞書讃仰』(一)

和讃・聖教等を拝見する

くり返し読み返されるもの、それは必ず真実まことを内蔵した書物である。人の心の内奥に響くものを持ったものだけが、何年も何十年も、いや何百年も、そして何千年も伝わり受け継がれていく。

 そのような書物を一冊でもわが身に持ち、そして暇があればくり返し読んでいる人、それは深い心を持ち、豊かな思いを所有している、人の中の人とも言うべき存在であろう。

 和讃・聖教等はまさにそのような優れた書物である。

 善従は八十歳以上になるまでこれらを押し頂いて拝見し心打たれ、尊い思いを持ち、感謝し、讃仰した。そこに善従が深い信の人であることを知り得る。

 先師は、
「一生を貫く一つの言葉・・・一生を貫く一つの念仏行・・・そこに至幸至福の人が存在する。若き人よこれを思え。」
(住岡夜晃『難思録』第十九章「一つのことば」)

と申された。

 「一生を貫く一つの言葉」を持つとは、もとより「ただ念仏」である。しかしその具体相は、いわゆる五種正行であり、読誦・観察・礼拝・(称名)讃嘆供養であって、まず「和讃・聖教等」を読むことであろう。一生を貫いて読み、頂く書物を持つ。それが「一生を貫く一つの言葉」を持つことであり、「一生を貫く念仏行」を持つことの具体相である。そこに「至幸至福の人が存在する」そこに「徒然という事を知らず」という人が誕生する。

細川巖著『蓮如上人 御一代記聞書讃仰(続篇二)』198・199ページより

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