言葉1『正信偈讃仰』(八)

親鸞聖人というお方

考えてみますと、親鸞聖人というお方は、まとめるというか全体を把握する力が非常にすぐれたお方ですね。物の本質を把握する力が非常にすぐれたお方ですね。仏典を読まれるのに独特の読み方をされるのは、その内容を把握されるからです。

 昨夜も申しましたが、親鸞聖人というのは大変なお方で、我々は浄土真宗におるから、我々の先生は大した先生だといって威張るのは当たり前のように思うが、そういうことでなしに、出来るだけ客観的にみても大した人ですね。こういう人はもう二度と出てこないような人だということができよう。

 しかし、どうしてそういう人が生まれたのか。それは昨日も申したように、一つには宿善ですね。この人は本当に宿善の篤い人ですね。

 宿善とは何か。日野家という一族に生まれた。その日野家という一族は本当に仏法を大事にした。皆さん機会があったら、京都に行ってお参りするといい。山科ではなかったかと思うが、日野という所にありますね。日野の里というのがあって、親鸞聖人の生まれなさった所があります。そこにお参りになるのがいい。確か井戸の跡があったと思ったが、細かなことは忘れました。しかし、印象に残っているのは、大きな仏様です。大きな大きな仏様で、そこが日野家の人々が毎日勤行しておった所だそうですね。親鸞という人は赤ん坊の時から、抱かれてお参りして、その仏様の前で育った人ですね。その一族はそういう仏像を建てて、仏法を崇拝しておったというところに、宿善という先天的なものがある。

 そして後天的にいえば、本当に先生に恵まれた人ですね。法然上人にお遇いしたということは、大変な大変なことなんであります。

 法然上人という人は、また偉い人なんです。三経一論といって、浄土宗の根本になる聖典を、『大無量寿経』・『阿弥陀経』・『観無量寿経』の三経と『浄土論』願生偈の一論と決めた人は法然上人であった。その本をよく読んだ人でもありますし、大蔵経(だいぞうきょう)を三回も繰り返して読んだという話もある。そういう人の話を聞いて教えを蒙ったというのは大変なことである。

 その二つが大事なことである。

 もう一つ付け加えれば、聖人が長生きされた。長生きして健康で、人生体験の長い積み重ねを経験されて、非常に苦労された。そこがこの人を本当に深めたことになった。こういうふうに思うのである。

『正信偈讃仰(四)』17・18ページより

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